1976



「ロッキード事件」発覚で政界は混迷を極め、「限りなく透明に近いブルー」で村上龍がデビューを飾り、遠くロンドンでは若者達が「アナーキー・イン・ザ・UK」と叫びを上げた1976年!!!……ここ日本で4人の男が産声を上げた!!!
KAGAMI、DR.SHINGO、SHIN NISHIMURA、HITOSHI OHISHI、現在のテクノシーンを語る上ではもはや外す事の出来ないこの四人が代官山UNITに初集結!!!
まさに現在〜未来のジャパニーズテクノシーンがここにある!!!!


【DATE】 2006/2/04(SAT)
【TIME】 OPEN/START 23:00
【CHARGE】
Door : 3,000yen
W/flyer : 2,500yen
(右の画像のプリントアウトも可。但し1枚につき1名様まで。)

【LINE-UP】
[B2 UNIT -1976]
DJ :
KAGAMI
Dr.Shingo
Shin Nishimura

LIVE :
New Deal

VJ:
M.M.M

[B3 SALOON -1977-78]
DJ :
TAKAMI
TOSHIYOSHI NKJ
MOA
RYO TSUTSUI


【INFORMATION】
UNIT 03-5459-8630


KAGAMI
kagami1.gif10年前に、弱冠18歳にしてデビューしたKAGAMIは、次々とダンスフロアを揺らすヒットを作りだし、今や日本を代表するDJ/クリエイターとしてテクノ・ファンのみならず異ジャンルのクリエイターや世界中のDJたちからも最も注目を集める存在。デビュー・シングル「Y EP」(フロッグマン・1995年)でいきなり旋風を巻き起こした後、基本的にフロア向け12インチ・シングルを中心に作品を発表していたKAGAMIだが、98年のファースト・アルバム『The Broken Sequencer』が、HellやCarl CoxなどテクノのトップDJたちに絶賛され大きく活動の幅を広げる。99年に電気グルーヴと石野卓球のリミックスを手掛けたのを縁に、翌年には電気グルーヴのサポート・メンバーとしてDJ TASAKAと共に活躍。その経験を活かして制作されたKAGAMIの代表曲「Tokyo Disco Music All Night Long」(フロッグマン・00年)は、ドイツでメジャーにライセンスされるなど驚異的なヒットを記録し、翌年日本で発売されたCDシングルも超ロングセラーとなった。


Dr. SHINGO
Dr-shingo-pics.gif1976年誕生。長野県松本市出身。幼少の頃より、様々な楽器演奏を経験する事により自然と様々な音楽スタイルを吸収してきた。高校卒業後に上京、ヤマハ音楽院に入学。もともとギタリスト志望であったため、そのギター演奏のテク ニック向上を目指すと共に本格的に音楽理論の勉強などに取り組み、真剣にプロミュージシャンを目指すようになる。1997年アメリカ、ボストンに在るバークリー音楽院に入学。 JazzCompositionを専 攻するが、クラフトワーク等のジャーマンテクノサウンドに出会うことにより、ギターを置きコンピューターミュージックの可能性を追求することに没頭するようになる。1999年帰国後は都内クラブでのDJ活動、ライブパフォーマンスを行うと同時にデモトラック製作を精力的に行うようになる。2001年よりデモテープの配布を開始、最終的に故christian morgensternのレーベルForte Recordsよりアルバムリリースのオファーを受ける。2002年デビューシングル「Have you ever seen the blue comet?」が発売。デビューアルバム「Dr Shingo's Space Odd-yssey」は大ヒット、一躍 その名を世界 に轟かす。Sven Vath、石野卓球、Monika Kruze、Claude Young等 のトップアーティストからも絶大な評価を得、世界各国からリミックスの依頼が舞い込むようになる。今年5月には2ndアルバム「ECLIPSE」をドイツのTELEVISION RECORDSよりリリース(日本盤は先行で3月にMUSIC MINEよりリリース)。TELEVISION クルーやThomas Brinkmannなどを引き連れたツアーも成功を収め、6月にはTorsten FeldとのユニットSUNRISE名義での初シングル「Taxi Alien EP」がMonika Kruzeの新しいレーベル Electric Avenue Recordingsよりリリースされ、そのまさに夏向けなチューンが話題 を呼んでいる。国内でのDJ/LIVE PA等のパフォーマンスにも注目が集まり、名実ともに、今最も注目されている新世代テクノミュージシャンの一人である。


SHIN NISHIMURA
shin.gif「何もない状況なのは当たり前、だからポジティブに考えればいい」留学先のロンドンでクラブカルチャーに触れたシンはその後留学した上海でDJ活動をスタートさせる。当時の上海の政治的な動き、法律・・・様々な数えきれない程の困難な状況と直面しながらも着実にステップアップし続けていった。2000年、中国の2大都市、上海と北京にてテクノパーティー「PLUS」をスタート。第一回目に石野卓球を招いたのを皮切りにFRANK MULLER,CLAUDE YOUNG,FUMIYA TANAKA,KEN ISHII,DJ TASAKA,ANGELA FLAME等を招致し、上海と北京でテクノを根付かせることに成功する。数々のアーティストとの競演とシンクロするように徐々に活動を世界に広げ始め2001年には ドイツ最大のテクノレイヴ「MAYDAY」に出演を果たす。同年、日本では初となる「PLUS」を新宿LIQUID ROOMにて開催。翌年より「PLUS TOKYO」として日本においても正式にスタートすることになる。中国、日本そしてヨーロッパと活動の範囲はさらに広がり2002年には 日本最大の屋内レイヴ「WIRE02」に出演し名実共にトップアーティストの仲間入りを果たす。同年に発表したmix cd、シングル12インチはどちらも好セールスを記録しDJとしてだけでなくクリエイターとしても注目を集める。2004年には自身のレーベル「PLUS RECORDS」をスタート。自身が手がけたパーティーアンセム‘PLUS TOKYO’は反響の高さに一瞬にして完売。現在はシンの活動に共感を得た世界のテクノ・アーティスト達が集いリリースを重ねている。世界を股にかけ各地でDJし続けるシンニシムラ。彼のポートレイトとも言える初のフルアルバム「Star☆Light」が完成。各媒体に取り上げられ、注目のアーティストとしての存在を確立させる。WIRE05にも初のライブ出演を果たし、WIREへのライブ、DJの両方の出演は石野卓球、ケンイシイに続き3人目となった。

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