From First To Last
Special Showcase in Japan
LIVE : From First To Last

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From First To Last
2002年、ギタリストのトラヴィス・リクターとマット・グッドを中心にポスト・ハードコア/スクリーモのバンドとしてフロリダで結成された(現在の活動拠点はロサンジェルス)。2003年6月ニューヨークのフォー・リーフ・レコーディングスから初の音源となるEPをリリース。年末に西海岸の老舗パンク・レーベル、エピタフと契約。バンド結成時のヴォーカル、フィリップ・リアドンがデビュー・アルバム制作時に脱退。当時15歳だったサニー・ムーアがその穴を埋め、デレク(Ds)とジョン・ウェイスバーガー(B)と共に完成させた。2004年6月、ファースト・アルバム 『ディア・ダイアリー、マイ・ティーン・アングスト・ハズ・ア・ボディカウント』をリリース。ストーリー・オブ・ザ・イヤー、バッド・レリジョン、ハリファックス&エマニュエル等とのツアーを経験する。
セカンド・アルバムの制作の為にスタジオに入る寸前、ジョン(B)が脱退。プロデューサーのロス・ロビンソン(スリップノット他)はウェス・ボーランド(リンプ・ビズキット)がジョンの代わりにベースを担当し、幾つかのショウにも代役として参加。2006年3月に完成した『ヒロイン』は成熟したサウンドとバンドの野心が上手く表現された作品として、高い評価をレビュー等で受けた。フォール・アウト・ボーイ、オール・アメリカン・リジェクツ、ホウソーン・ハイツとのツアーが後押しとなり、『ヒロイン』はアルバム・チャートで25位を記録。リリースから1ヶ月後、シーンの注目のバンドとなったFFTLは、遂にメジャー・レコードのキャピトルと契約することになる。しかし、バンドには勢いに乗っていたのだが、良い事とばかりは続かなかった。手術を受けたサニー(Vo)がヴォーカルに問題を抱え、ワープト・ツアーと秋に行われるアトレイユのツアー・サポート等いくつかのショウとフェスティヴァルの出演断念を余儀なくさせられた。
2007年初頭、新作の準備に取り掛かろうとした矢先、ソニーが自身の作品に専念するという理由で脱退。ギタリストのマットがリード・ヴォーカルを兼任することになる。メジャー・デビューの作品の為にレコーディングに入ったバンドに悲劇が起こる。キャピトル内部の問題で契約が解除されてしまったのである。制作途中にサポートを失ったバンドだが、新しいベーシストのマット・マニングを正式なラインナップに加え、自分たちだけでアルバムのレコーディングを続けることを決意する。アルバムの作業を続けていたFFTLは新たなメジャー・レコード、シュアトーンとの契約にこぎつける。LAのスタジオに入り直し、
著名な制作陣(プロデューサー:ジョシュ・エイブラハム、ミキサー:ブレンダン・オブライエン)を迎えセルフタイトル・アルバムを遂に完成させる。新曲はMyspaceで公開され大きな反響を呼び、春、夏に開催される大規模なツアー、フェスティヴァルのヘッドライナーも確定。数度にわたるメンバー・チェンジ、レーベル移籍を経て、FFTLは待ちに待たれたメジャー・デビューを果たす。4月29日、『フロム・ファースト・トゥ・ラスト』がアメリカでリリースになるのだ。
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